2025/03/27

もやり取りされている

昨年、ご主人が急に亡くなり、未亡人になった50代、セレブ美人女性。
わたしがたまに日記を書いている、あるSNSでお見かけした。
塞ぎ込む日常から気持ちを切り替えて、交流を求めているとか。

未亡人になってから書き始めた、その日記を拝読すると、セレブ生活が浮き彫りになっていた。
あんなに生活環境をさらすと、変な人が、悪いことを企んで寄って来ないかと、他人ながら心配する。
老婆心。

ひょっとして、その未亡人こそが、未亡人に群がる男性を騙すためのオトリだったりするが、、、。
書き手は女性ではなく、男性かも知れないし。
SNSの世界。
わたしは、信用していない。
特に、出来すぎた話は。

ただ、コメントにリアリティがあり、なかなか現実的なので、信用してしまうかも。
実在の人物でなければ知り得ないことなども随時、アップされていて、リアルタイムにコメントもやり取りされている。

ハッキリ明確なことは書かなくても、だいたいアウトラインはわかる。
わざとなら、巧妙な作りだが、無意識なら、無防備すぎる。
よほどセキュリティに自信がないと、危ない。

あるいは、ひょっとして、美人局かも知れないし、一般ユーザーも安易に信じて、のめり込んだら痛い目に遭う。
お互い、危険がいっぱい。

話がよく練られて構成され、文章スキルが高いと、それなりのことは出来そうだ。
が、手の込んだ詐欺やロマンス詐欺もありえる。
自分を多くの不特定多数の人に向けて発信するには、注意が必要だ。
発信する側も、受ける側も。

ところどころ、自分はセレブで美人だということを嫌味なく匂わせる箇所もある。
しかも、あの控えめで謙虚な姿勢、、、なんだかなあ、、、。
それなら、そんな話題を自分から振らなくてもいいと思うが。
プロポーション抜群の全身写真も。(目のあたりだけ黒塗り加工)
ぷんぷん匂いがする餌撒きにも捉えることが出来る。
わたしなどは、もっとも彼女のターゲットから対極の遠いところにいるから、全く関係ないけれど。
うまい話は怪しい、、、。
  
Posted by mofjurd at 16:13Comments(0)

2025/01/17

今でも蘇ることがあ

とんがったりしてるのは、ある意味、切れ味が楽しめて気持ちいい。
へんに丸くなったり、人が出来てくる(人格が整ってくる)と、信頼されたり、安心はするものの、規格外、予想外のことをしなくなるので、面白くない、ツマラナイ。
荒削りなエッジが、切れ味よく刺激になる、そういう感覚、感触が鈍化する電機工程
その代わりに、ピースフルでマイルドになる。
両方は、逆ベクトルなので両立、同時存在は難しい。
わたしは、どちらかというと、なんでも両極端あり、真ん中のところに自分で意図的に来て、どうにか均衡を保っている。
平均値は中央値。
2つの両極端を足して2で割っているだけ。

「練習」では両極端を、常に一定にすることを目指す。
が、なかなか、混ざらない。
すごく良いか、すごく悪いか、にしかならない。
あとは、まあまあこんかもんかな、という妥協レベルScholarships in hong kong
自分と向き合って、かれこれ65年は経つ。
(年齢➖2歳)
3つ子の魂、百まで、で、3歳の時の記憶もある。
幼児の頃、大惨事に見舞われトラウマが生じた人もいるだろう。
たまたまそういう不幸な出来事には遭遇しなかったものの、幼い時の自分の行動や発言が今でも蘇ることがあり、冷や汗が出る。
子供のすることだから、周りはそういう目で見てくれたことだろうけれど、今、思えばやはりとても恥ずかしい。

今の子供はお利口だし、口のきき方もスマートだ。
わたしが子供の頃は、教えられていないこともあり、自分に自覚がなく知らないにせよ、ひどい。
両親は仕事に忙しく、子育てどころではなかった。
たまに接する夕食の時間は、父の躾が厳しかった。
特に品のない言動は嗜められた。
母が万年未成年・大らか健康優良児だったため、父が躾には口を出していた。
とてもうるさい人物ではあったが、わたしは、父を尊敬していた。
父の血を受け継いだら良かったのだが、哀しいかな母のほうに似ているような気がする。
これは、DNAではなく、環境かも知れない。
おなじ両親から生まれ育った、兄や姉とは、わたしは少し違う。
が、どちらかというと、わたしは兄寄りだろう。
世間から遠いタイプ。

わたしは、兄が18歳の時までしか一緒に暮らさなかった。
わたしはまだ中学生。
知っているのは、兄の高校卒業まで。
姉とは女同士、歳も2歳しか離れていないので距離が近く、お互い、結婚して家を出てからも、やり取りはずっとある。
姉のことは、スーパー(ウー)マンだとわたしは思っている。
父はよく姉のことを「女性にしておくにはもったいない。男だったらどんなに良かったか」と嘆いていたscientific research
姉は、なかなか能力のある人物である。
同じ両親から生まれ育ったのに、なぜ、こんなに違うのか。
神様のイタズラに他ならない。

幼い頃のエピソードも、同じ事柄があっても、姉とわたしとでは全く受け取り方や感想が異なる。
姉が言っている当時の出来事に対して、わたしは、ほぼほぼ、何も感じず何も考えていない。
脳みそは完全に休眠状態である。
「なぜ、そんなことを知っているの?
わたしは、全く聞いてないよ」
と言ったところで、脳が動いていないのだから仕方ない。
代わりにわたしは何を見て、何をしていたのだろう?
お花畑で蜂に刺されながら飛び回っていたのかも知れない。
  
Posted by mofjurd at 11:49Comments(0)

2024/12/03

先祖様たちのお墓を訪

「虎に翼」、同じ感想でも、優れた立派な素晴らしい解説、感想が書かれたブログ記事があり、頭脳の良さが嫌味なく自然に露呈されている。
それに比べて、わたしの蝶ブログは知能指数が低いのがバレバレである。
蘊蓄の数々、解説は興味深く答え合わせのごとく、インプットは出来ても、わたしは客観的なアウトプットが出来ない。
つまり、具体的事象や正確な知識は、理解するプロセスの段階で消化されてしまって、残っていない脫毛機
人に理路整然と説明できない。
で、結局どうなったの?と、結論重視。
まあよい。
劣ったものがあってこそ、優れたものの良さが際立つ。
不味いものがあってこそ、美味しいものに舌鼓を打てる。
持ちつ持たれつ、お互い、相乗効果。

さて。
高野山。
わたしは何度か訪れている。
直近では、つい1週間前。
しばらくは、高野山の写真が続きそうhifu 效果

写真を撮ろうと思ったのだが、お墓の写真は1枚だけ。
しかも、墓とは言えない、書いたものを供養する?「楽書塚」。
まさにムダ書き散らし蝶ブログの供養。自分向け?
それはさておき。
なぜお墓の写真を撮らないかと言うと、今年4月に参加した「歩く会」で、三田(兵庫県)にある白洲次郎とそのご先祖様たちのお墓を訪れた。
その際、お墓の写真をどんどん撮ったら、お墓から出た直後ぐらいから、急に頭痛に襲われた。
やっぱり、お墓の写真はダメなのかなと、頭キンキン痛いなあ、と刺さる痛さをもって、わたしに(墓主が)訴えてきた。
それ以来、お墓の写真を撮るのには慎重になっている。

夫の実家の仏壇前にお供えした、お盆の里帰りご先祖様への(記録のための)お膳料理写真もそう。
何か写ってないか、恐々見てみるが、何も写っていない。今のところは。
ご先祖様の皆さんからはクレームはない、とわたしは受け取っている。
この夏から、なんと、ノリタケの新古品デミタスカップ&ソーサーで、淹れたてコーヒーを(ついでに)(自主的に)お供えしている。
コーヒー好きは、義父(舅)だけなんだけど。
夢の中にニコニコ笑顔は現れないが、期待もしていないからよい。

自分の家はよいが、やはり、他人様のお墓には気を使うようになった。
コラコラ!人の聖域に土足で踏み込むな、という頭痛パンチのお見舞いは、鈍感で無信心なわたしにも効いた上門通渠
  
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2024/10/24

からない嬉しさが込み上

わたしのブログ記事は辛口だ。
自虐傾向があるため、自分と同時に、自分に似たような人も斬ってしまう。
人間が持つ共通の心理だったりすると、他人が読んで自分のことをけなされているような気がして不快になることもあるだろう。
触れたくない、触れられたくない、こころの奥やヒダだったりすると尚更。

楽しいことや興奮するような嬉しいことは、共有したくて、元気になりたくて読まれるが、逆のマイナスは近寄りたくないのが自然IB Schools in Hong Kong

それと、わたしは普通にさらりと思っていたり、していたりすることも反感を持たれたることがある(と思う)。
自虐ネタは、読む人は嘲笑なり優越感なりを感じて、こころの余裕を生むが、そうでないネタは、自慢だと感じられる。
自慢する人に悪い人はないという説もある。
だが、ニオイに過敏なわたしは、ニオう自慢は避けたい。

実力が伴う人がさらりと現状を述べるならオッケーだが、自分の力でもない人間が、無自覚で優位に立っている現状をべらべら話す(書く)のは、痛い。
わたしは、自然体で書きたいのに、どこかにニオう自分を感じる會計軟件
自虐は逆自慢の現れか。
自意識過剰か。

二面性が顕著にあるため、一面のみの顔を表に出している。
が、裏の顔で悪事を働くわけではない。
健全な善良な一市民である。
にもかかわらず、、、
自分のもう一面と対峙するのは自分であり、人に相談したりしない。
同じような状況の人の話を参考にしたりするが、その方法を取り入れるか、取り入れないか、あくまでも、叩き台にするだけ。
自分の思いを吐露できない苦しさはある。
そして、わたしの嫌な面を深く知る人は、この世から去って欲しいと願う。
まるで、犯人が証拠隠滅を試みるように。

わたしには良い面もある(はず)。
ではあるが、取り立てて騒いで持ち上げて欲しいとは思わない。
かえって暑苦しい。
ただ、ほんのちょっとした、些細なことに遭遇して、知ったりすると、じわじわと喜びが広がる。
意外に単純である。

つい先日、遠い親戚で、ほとんどつながりも、会うこともない、長い長いスパンでの関わりの人の口から、不意にわたしの下の名前がぽろっと出た瞬間に、なんだかわからない嬉しさが込み上げた。
アラジンの魔法のランプから、もわっと巨人が出現したかのよう。
その親戚は、80歳ぐらいの女性なのだが、今までほんの数回しか不祝儀の会でお会いしたことがない。
季節品を送っていただいたお礼の電話をかけた時に、苗字を言うと即座にわたしの下の名前が出たことには驚きを感じた。
(長年、わたしは夫の名前で礼状を出していた)
よくよく考えるとわたしも、その人の下の名前を知っている電腦椅
親戚というのはそんなものか。

(ちなみに、その親戚との関係は、、、
夫の父の父の父の弟の息子の娘。
明治初期に枝分かれした親戚。
はあぁ、長い、、、
「ファミリーヒストリー」の世界)
  
Posted by mofjurd at 16:14Comments(0)

2024/09/13

宿題をすればいいのでは

暑いけれど、一昨日は頑張ってお出かけした。
昨日もお出かけ。
1番上孫(小6男児)のお手伝い。 
夏休みの自由課題なんだそうだ。
朝、8時から出発するなんて言うから、9時半にしてもらった。
早過ぎる。
9時半過ぎのバスに乗って、その後は電車を乗り継ぐ。
計画は本人まかせだそうで、わたしは、たんなる付き添い。お付きの者。見守り精神安定剤手臂粒粒
どの電車、路線、時刻、行き先、全て自分で決めてその通りに乗るんだそう。
はぐれたらどうする??
予め、はぐれた時の取り決めをしておかねば。
彼はスマホを持っていない。
連絡できない。
駅の伝言板って、今はあるの?

昔、スマホなんかない時代は、連絡出来なくて当たり前だった。
一旦、携帯電話に慣れると、ケータイ無しで外出は不便、不安古法紮肚
ガラケーの次は、スマホ。
手のひらサイズの、歩くパソコン。
なんでも調べられ、その場で予約したり売買もできる。
乗り換え時間や乗り換え駅、到着時間、などなど。
それなら、自宅で電車の乗り換えアプリを使って夏休み自由課題の宿題をすればいいのでは?
家に居ながら旅行気分。

ではあるが、やはり、実際に計画を立てた通りに、電車に乗らなければ臨場感がない袪斑
それに、実践しないと、脳内ジャーニーでは、夏休みの宿題にならない。
  
Posted by mofjurd at 10:19Comments(0)

2024/07/26

う人が多いかも知れな

墓じまいについて。
65歳以上の人にしか興味がないと思われるが、自分が興味のあることを書く。

前にも書いたが、知人Aさん(推定70歳代)が、住居のある地区で墓地を以前、購入した抖音廣告
核家族であるAさん家は、誰も亡くなっていないので、墓石はまだ設置していない。
墓石が建っていない更地墓地に管理費を毎年払うが、購入済み、更地スペースはポツンポツンと段々少なくなり、周りはどんどん墓石が建つようになってきて、肩身が狭いという。
別の地域にある親の墓は、親が亡くなってから、Aさんの兄が建てた。
故郷の墓が遠いため、墓の引越をしたようだ。
兄夫婦は、兄が建てた両親の墓に今後、入るが、兄の子供達は、2人とも遠方に住み、そちらで腰を据えるため、親の墓を引き継げない見通し。
引き継がれない親の墓を抱えながら、その一方で自分の墓地を更地で持つ知人Aさん數碼相機
Aさんの子供達も遠方だったり、息子のお嫁さんが女系家族だったり。
墓を建てて維持してもらえるのかどうか、未知数。
あまり何も考えないで、自分たちの墓地を買い求めたAさん。
どうなるのだろう。
移動した親の墓も、Aさんの墓も、子供達には負担だろう。
Aさん夫婦のどちらかが先に亡くなったら、残された片方が、やっと墓石を建てるのだろうか藍光牙齒美白
そこのところだけが、遺族の考えどころ、悩みどころだ。
残された片方がどんな状態かにもよる。
認知症や病気になっているかも知れない。
その時に考えるしかないか。
だが、ぴんぴんしている70代の今では想像もつかないことでも、80代になり、90代になると、だいたい予想がつく。
親の墓じまいをするのも、終活のひとつであるが、自分の墓をどうするのかも、道筋をつけておけば、残された子供達の負担が軽減される。
だいたい終活するタイプの人は、親の墓じまいで苦労したため、子供には同じ苦労をさせたくない、だから自分の墓は要らない、という人が多いかも知れない。

両親両方が亡き後は、子供達が自分達の考えを反映して行動することだろう。

ちなみに。
わたしの実家の墓は、とりあえずは、あと40年ぐらいは維持されるだろう。

わたし自身に関しては、夫の墓地に眠る予定。
先代と先先代の嫁が相談して力を合わせて、過去帳と、当時既存の墓石に刻まれた戒名や記録を元にしたり、(たぶん)お寺に問い合わせたりして、墓をリニューアルしたため、わたしは、楽ちん。
だが、わたし達夫婦の墓石は新設しないと、無い。
場所は、同墓地敷地内、先祖、先代達の墓石に隣接。
新設墓石は、夫婦のうち、生き残った方が建てる。
墓の維持費、管理費は残しておく。
子供達は現地に来れないなら、業者に委託するとよいかと。
仮に子供がお金を使い込んでしまったとしても、わたしはこの世にいないから、わからない。
恨めしや〜と、化けて出て来るなんてことはない。

現代や未来に生きる子孫たちに、過去の価値観を押し付けるのは、いかがなるものか。
行われてきた事実の報告だけは残しておくつもりだが、はたして聞く耳を持つかどうか、だ。  
Posted by mofjurd at 11:35Comments(0)

2024/06/20

意識は変わってくることだ

あなたも、あなたも、あなたも。
ちょっと持病があります、
最近、目が見えにくくなりました、
耳が聴こえにくくなりました、
白内障の日帰り手術受けました、
のイメージか乳房硬塊
ましてや、軽度認知障害となると、普通にそこらあたりにゴロゴロいる。

ひょっとして「認知症」?と可能性を疑うと、烈火のごとく怒る人がいる。
絶対に自分は片足も突っ込んでいない、と断言する。
認知症気味、認知症傾向、と、言葉を濁しても、烈火の高い温度は下がらず。
自分にはあり得ない、と強い拒絶反応を示す方々。
アレがない、コレがない、と、周りを探し回っている人、認知症ではなく、日常の単なる老化だとしても、、、
それが益々深刻になったとしても、
病名が付いてよかったね、であるBB免疫力

自分はよくても、周りはよくない。
が、「皆んなそうよ、それがなにか? どうかした?」と大多数になると、自分も周りも、意識は変わってくることだろう。

わたしの身内親戚も、高齢認知症がいっぱい。
晩年、最後は認知症になった人と、認知症にならなかったが高齢病没の人は、ほぼ同数か?
認知症であり、なお、最後は臓器がもたない場合もある。
身内では高齢ガン率が高い。
高齢になると、似たような経路をたどる。
皆んな、高齢まで生きてきたという長寿の幸せを全うしている。
天使になってあの世に旅立つ高齢の皆さんはいない。
高齢のまま。
何人も何人も、身内や親戚を見送ると、人は必ず死ぬということが、今更ながらわかる。
そのオマケとして、認知症が付随する。
武士が切腹する時に介助役がいるような、そんなわけにはいかない。
生活の介助はいるが。

いずれ来る道、いずれ行く道。 
避けられない。

ただ、非婚、お一人様、独居が増えているため、社会制度上の対策が必要。
これが喫緊の課題である。

子供は生まれない、高齢認知症は増える、、、少子高齢化社会だと随分前から言われていたのに、実際に到来の波を肌で感じるまでは、他人事。
空き家だの、消滅可能性自治体だの、目の前に実態が晒されると、準備も整備も出来ていない沖繩買樓

暗い話題に、明るい〆はないか?
、、、今日を精一杯生きよう。
行政は、要。
そのためには、選挙の投票は真剣にしよう。  
Posted by mofjurd at 09:45Comments(0)

2024/05/14

あまり遭わなかったような気

写真は昨日の和歌山城。
桜は満開。
今日は雨なので、少し散ったかも?
ベスト咲きの桜に出逢えて、大満足。
いっぱい写真を撮ったが、桜のシーズンが終わるとブログに使えなくなる脫面毛
せいぜい、ここ1週間は桜の写真を蝶ブログにアップしよう。

この1週間で、3箇所の桜紀行。
しかも、うまい具合に、奈良県、京都府、和歌山県と、3都を制覇。
桜スタンプラリーのようになった。

和歌山はあまり人は多くなかった。
京都のすぐ後だったため、比較してしまうせいもあるだろう。
客層も、インバウンド客よりも日本人が多かったように思う。
和歌山は暮らしている人々の姿があちこちに見られるが、京都では、観光業に携わっている人の他には、市民の皆さんにはあまり遭わなかったような気がする。
オーバーツーリズムで、うんざりされていることだろうHifu效果

京都はさすがに世界的にも一大観光地だが、和歌山城に足を伸ばすインバウンドの人は、相当渋い少数派。
平日ということもあるかも?

現地で入手したリーフレットを家でじっくり読むと味わい深い。
特に京都は、雅やかな上に、華やか。
リーフレットに書かれている、お寺そのものも素晴らしい。
しかしながら、秀吉と北政所を祀ってある高台寺の廟堂本、霊屋は、内部がちょっとボロボロすぎて放置されている荒んだかんじが気の毒なぐらいだった。
修復する費用と人材が不足しているのか?
重要文化財である創建当時の茶室(傘亭&時雨亭)は、あまりにもぼろっぼろで、食うや食わずのガリガリの、ひもじい仙人が居るのかと思われるぐらい。
いつも近代的な建物や設備の中で暮らしているから自然な劣化に、わたしの目が慣れていないようだthermage 邊間好
しかし、吹きっさらしの茶室なのだから、よくぞ原型が保たれたものである。
潰れないように最低限度メンテナンスはされているとは思うが、あえて過度に手を加えないことが、本来のままで、風情を醸し出すのだろうか。  
Posted by mofjurd at 16:05Comments(0)

2024/03/29

落胆は確定となった

なにしろ、手は2本しかない。
なので、3つは持てない。
脇腹に挟むという方法もあるが、知らないうちに落ちている。
注意が3つ目のことに集中され、1つは脱落する被蝨咬
脱落したことにその場で気づかない。

で、バス停でリュックを開けて、傘ケースがないことを確認して、最初は落とした?という疑惑だったが、落胆は確定となった。
とりあえず、リュックに常備しているビニール袋にビチャビチャの折り畳み傘を入れて、それをリュックに詰め込んだ。

(前日、落とした定期入れとは違い、たかだか折り畳み傘ケースだが、LOFTで買った、吸水機能付きの、長めのお気に入りのもの)

バスがもうすぐ来るため、引戻って傘ケースを探す時間がない。
電話がかかってきた地点に落ちていると推測するのだが根管治療
で、休日で家に居る夫に携帯に電話するが、繋がらず。
固定電話も当然出ないのでメッセージを入れる。
LINEも当然、既読にならない。
仕方ないので、近所に住む長女にLINEする。
雨が上がったら図書館に一家で出かけるという長女からは、「見とくわ〜」と返信。
しばらくして夫から、「拾いました」とLINEがあった。
落ちていた場所はやはり、業者から電話がかかってきた地点。
わたしの行動は、とてもわかりやすくパターン化されている。

一度に同時行動する時は3つ目以上になる段階で、必ず、1つ目2つ目のいずれかが抜け落ちることを自覚するべし。
対策は、、、3つ以上は手を出さない。
もし、やむを得ずそうなった時は、1つ脱落することを覚悟する。諦める。
あるいは、SOSを出す、サポートを求める。
自分の欠けていることは、なんらかで補足する。継ぎ足す言語治療
欠けているのだから仕方ない。

若い頃ならトレーニングして対応出来るように努力し、自分のキャパシティを大きくし高めるのだが、今は、現状を把握して対策に走る。
アタマも能力も、歳とったなあ、、、わたし。ぐすん。  
Posted by mofjurd at 16:14Comments(0)

2024/02/20

自分事として捉えてい

各国、なぜ少子化になっているか?
人口の多い国はこれから栄華の時代を迎える。
昔は貧乏人の子だくさんというイメージがあった。
産めよ増やせよの時代を過ぎて、やがて理想とする子育ては教育にお金がかかる抖音商城
質を追求して子供の数を減らす。

自分の生活や人生の質や充実を重視して、子供を産まない、結婚もしない。
少子化の波に歯止めがかからない。

価値観の変移か。
しかし夫婦で協力して子育てしている姿をよく見かける。
女性が普通に家庭外で働くようになって、家事、育児の協働が目立ってきた。

介護について。
老老介護もさることながら、わたしが知る範囲では、リタイア前後の男性が母親の介護を担うケースが増えてきている增強免疫力補充品
嫁ではなく、息子。
時代は変わった。

だが、まだ旧態然とした価値観は人によっては変化せずにそのまま。
特に前期・後期高齢者あたりの、昭和男性は、アタマの中が変わっていない。
今更、変えようにも無理。
周りは諦めている。
が、少し突くと、火薬庫の爆発が起きる。
啓蒙啓発は無駄なので、あたり触らず、そっとしておくしかない。

いくら目の前で若い婿が家事・育児をしていても、自分には直接関係がなく、映画を観ているようなもので、自分事として捉えていない。
その状況が許されているわけではなく、アタマのカタイ人は、居ないもの、存在しないものとして扱われている。
特別な地位、特権を与えられているわけではない。
治外法権の例外区。
経済発展区なら良いが、限界集落のようなもの。
再生などには手付かずで、やがて朽ち果てるのは時間の問題。

ちなみに、我が家があるのは、半世紀前に大規模開発された地。
我が家の近所周り、土地家屋の新旧移り変わりが著しい。
開発、分譲当初、安い値段で買って入居した人々は90歳近くなっている。
家を手放し、駅近くのコンパクトなマンションに引っ越しているか、老人ホームに入っているだろう。
綺麗に区画され整列していた各邸は、歯抜けのように、どんどん古い家が更地になっていく漂白牙齒
そして、新しい家が建つ。
ちょっと家の周りを散歩すると、あちこちに動きが見られる。
1番の動きは、わたしが寝ている2階の部屋から見える風景が変わったこと。
今まで何もなかったのに、窓から全面にドーンと大きな家が立ちはだかり、こちらの2階と目線の位置が同じになった。
うちの1階からは見えないのだが、2階から見ると存在感を現している。
なぜ、1階からは見えないのに2階から見えるのか。
というか、2階からしか見えない。
うちの玄関の反対側(背後)の家の、更に道を隔てたお向かいの家。  
何十年も手付かずの空き地だった。
裏側の筋を一つ進んで足を運ばなければ、家が建っているのが1階からではわからない。
そして、うちの2階から見えるのは、大きな家の横側。横姿。
道路側の間口より奥行きが広く建っている。
道路側の横から見ると幅が狭いが、直方体の大きな家。
大きな家が建ったと思っていたら、それは横側から見た姿で、実際はもっと大きかった。
(書いても書いても、うまく表現、描写できない。
図面か、写真なら一発でわかるのだけど。
なぜか、この家の形状、形態を表現したい)  
Posted by mofjurd at 17:50Comments(0)