2024/02/20
自分事として捉えてい
各国、なぜ少子化になっているか?
人口の多い国はこれから栄華の時代を迎える。
昔は貧乏人の子だくさんというイメージがあった。
産めよ増やせよの時代を過ぎて、やがて理想とする子育ては教育にお金がかかる抖音商城。
質を追求して子供の数を減らす。
自分の生活や人生の質や充実を重視して、子供を産まない、結婚もしない。
少子化の波に歯止めがかからない。
価値観の変移か。
しかし夫婦で協力して子育てしている姿をよく見かける。
女性が普通に家庭外で働くようになって、家事、育児の協働が目立ってきた。
介護について。
老老介護もさることながら、わたしが知る範囲では、リタイア前後の男性が母親の介護を担うケースが増えてきている增強免疫力補充品。
嫁ではなく、息子。
時代は変わった。
だが、まだ旧態然とした価値観は人によっては変化せずにそのまま。
特に前期・後期高齢者あたりの、昭和男性は、アタマの中が変わっていない。
今更、変えようにも無理。
周りは諦めている。
が、少し突くと、火薬庫の爆発が起きる。
啓蒙啓発は無駄なので、あたり触らず、そっとしておくしかない。
いくら目の前で若い婿が家事・育児をしていても、自分には直接関係がなく、映画を観ているようなもので、自分事として捉えていない。
その状況が許されているわけではなく、アタマのカタイ人は、居ないもの、存在しないものとして扱われている。
特別な地位、特権を与えられているわけではない。
治外法権の例外区。
経済発展区なら良いが、限界集落のようなもの。
再生などには手付かずで、やがて朽ち果てるのは時間の問題。
ちなみに、我が家があるのは、半世紀前に大規模開発された地。
我が家の近所周り、土地家屋の新旧移り変わりが著しい。
開発、分譲当初、安い値段で買って入居した人々は90歳近くなっている。
家を手放し、駅近くのコンパクトなマンションに引っ越しているか、老人ホームに入っているだろう。
綺麗に区画され整列していた各邸は、歯抜けのように、どんどん古い家が更地になっていく漂白牙齒。
そして、新しい家が建つ。
ちょっと家の周りを散歩すると、あちこちに動きが見られる。
1番の動きは、わたしが寝ている2階の部屋から見える風景が変わったこと。
今まで何もなかったのに、窓から全面にドーンと大きな家が立ちはだかり、こちらの2階と目線の位置が同じになった。
うちの1階からは見えないのだが、2階から見ると存在感を現している。
なぜ、1階からは見えないのに2階から見えるのか。
というか、2階からしか見えない。
うちの玄関の反対側(背後)の家の、更に道を隔てたお向かいの家。
何十年も手付かずの空き地だった。
裏側の筋を一つ進んで足を運ばなければ、家が建っているのが1階からではわからない。
そして、うちの2階から見えるのは、大きな家の横側。横姿。
道路側の間口より奥行きが広く建っている。
道路側の横から見ると幅が狭いが、直方体の大きな家。
大きな家が建ったと思っていたら、それは横側から見た姿で、実際はもっと大きかった。
(書いても書いても、うまく表現、描写できない。
図面か、写真なら一発でわかるのだけど。
なぜか、この家の形状、形態を表現したい)
人口の多い国はこれから栄華の時代を迎える。
昔は貧乏人の子だくさんというイメージがあった。
産めよ増やせよの時代を過ぎて、やがて理想とする子育ては教育にお金がかかる抖音商城。
質を追求して子供の数を減らす。
自分の生活や人生の質や充実を重視して、子供を産まない、結婚もしない。
少子化の波に歯止めがかからない。
価値観の変移か。
しかし夫婦で協力して子育てしている姿をよく見かける。
女性が普通に家庭外で働くようになって、家事、育児の協働が目立ってきた。
介護について。
老老介護もさることながら、わたしが知る範囲では、リタイア前後の男性が母親の介護を担うケースが増えてきている增強免疫力補充品。
嫁ではなく、息子。
時代は変わった。
だが、まだ旧態然とした価値観は人によっては変化せずにそのまま。
特に前期・後期高齢者あたりの、昭和男性は、アタマの中が変わっていない。
今更、変えようにも無理。
周りは諦めている。
が、少し突くと、火薬庫の爆発が起きる。
啓蒙啓発は無駄なので、あたり触らず、そっとしておくしかない。
いくら目の前で若い婿が家事・育児をしていても、自分には直接関係がなく、映画を観ているようなもので、自分事として捉えていない。
その状況が許されているわけではなく、アタマのカタイ人は、居ないもの、存在しないものとして扱われている。
特別な地位、特権を与えられているわけではない。
治外法権の例外区。
経済発展区なら良いが、限界集落のようなもの。
再生などには手付かずで、やがて朽ち果てるのは時間の問題。
ちなみに、我が家があるのは、半世紀前に大規模開発された地。
我が家の近所周り、土地家屋の新旧移り変わりが著しい。
開発、分譲当初、安い値段で買って入居した人々は90歳近くなっている。
家を手放し、駅近くのコンパクトなマンションに引っ越しているか、老人ホームに入っているだろう。
綺麗に区画され整列していた各邸は、歯抜けのように、どんどん古い家が更地になっていく漂白牙齒。
そして、新しい家が建つ。
ちょっと家の周りを散歩すると、あちこちに動きが見られる。
1番の動きは、わたしが寝ている2階の部屋から見える風景が変わったこと。
今まで何もなかったのに、窓から全面にドーンと大きな家が立ちはだかり、こちらの2階と目線の位置が同じになった。
うちの1階からは見えないのだが、2階から見ると存在感を現している。
なぜ、1階からは見えないのに2階から見えるのか。
というか、2階からしか見えない。
うちの玄関の反対側(背後)の家の、更に道を隔てたお向かいの家。
何十年も手付かずの空き地だった。
裏側の筋を一つ進んで足を運ばなければ、家が建っているのが1階からではわからない。
そして、うちの2階から見えるのは、大きな家の横側。横姿。
道路側の間口より奥行きが広く建っている。
道路側の横から見ると幅が狭いが、直方体の大きな家。
大きな家が建ったと思っていたら、それは横側から見た姿で、実際はもっと大きかった。
(書いても書いても、うまく表現、描写できない。
図面か、写真なら一発でわかるのだけど。
なぜか、この家の形状、形態を表現したい)
Posted by mofjurd at
17:50
│Comments(0)
2024/02/20
も何枚も薄い布団を重ね
夫の実家に来ている。
年末年始に子供たち一家が来て泊まるため、今日は布団を用意した。
ごそごそ。
ちなみに、次女一家は、お婿さんの実家に帰省している。
飛行機でしか行けないぐらい遠い地。
わたしは今まで一度も訪れたことがない地である。
それはそれとして。
長女一家と息子、我々夫婦、合計9人分の布団。
冬用羽根布団をわざわざ四角い羽布団ケースに収納してあるため、引っ張り出すのが面倒だ。
1枚は、合物羽布団で引っ張り出したが、もう1枚はケースの中、そのまま。
しかたないから、6人家族の長女一家には、そこらへんのありったけの布団を手当たり次第、総動員した。
薄い皮を幾重にも重ねたミルフィーユのような、パイ生地のような、モザイク模様のような、パッチワークのような、何枚も何枚も薄い布団を重ね合わせた。
最後に、大きなキングサイズのラム毛布があったので、それを横向けに掛けた日本簽證。
息子用には、張り切って、なんと敷布団を2枚重ねにし、冬用羽布団と毛布。
薄い、硬い、痛い、と思われないように、見栄を張った。
(母親はこんなところで息子に見栄を張る)
そして、わたしの布団は、あれこれ試行錯誤。
ああでもない、こうでもない、と、合物羽布団と、電気毛布敷布。
わたしは電気毛布敷布さえあれば、ご機嫌だ。ぬくぬく。
しかしながら、2階や別棟から布団や毛布を運び込むのは、結構大変だ。
特に2階からは、大きな布団を抱えて足元もよく見えず、階段を踏み外しそうで怖い。
10年後はきっとふらついて出来ないだろう。
で。
布団を用意していたら、姑の寝室の布団が入っている押し入れの毛布の下から、あるモノを発見した。
いかにも大事なモノが入っている風の和紙で作られた、味のある紙袋。
いったい、何が入っている?
宝石?
現金?
預金通帳?
小ぶりながら、ずしっとした貴重品の重み、手触り。
そっと中を開けると厚めの封筒がごろごろ。
遺言書か?
大事な言い伝え?申し送り?
封筒の表はまあ、さらっと見たが、肝心なのは裏。
見たことがある住所、名前、、、。
何通もある。
これ、わたしやん。
わたしが姑や舅に出した手紙の束だった。
まあ美しい丁寧な文字。
当時、ペン習字を練習していたこともあり、気合いが入っていた。
(今と大違い)
内容がまたキラキラした、健気で泣ける、素晴らしいこころを表したもの。
どこの誰が、書いた?と思えるぐらい、別人だった。
新婚当時の日常や感謝を伝えるもの。
第一子を妊娠、出産したばかり。
人間は、こうも変わるものか。
はあぁ〜。ため息。
決して嘘八百を並べたてているのではない。
こころから思ったことを文字にしている、、、のではあるが、美しすぎる、、、。
ごろっと変わったからといって、極悪人や犯罪者になるわけではない香港移民加拿大。
環境や年齢によって、人はこんなに変わるものかと驚いた。
それと、わたし、、、自分で言うのもなんなんだが、手紙がうますぎる。
もしあれがラブレターなら、相手はイチコロである。
残念ながら、ラブレターは中学1年の初恋の相手に書いて、こっぴどくフラれて以来、1通も書いていない。
苦い思い出と共に封印された。
それはある意味、良かったのかも知れない。
それはそうと、先日、事務所で廃品処理をしていて、出てきた手紙があった。
20年前の、パソコンで打った手紙のコピー。
わたしが迷惑をかけた人に詫びる内容なのだが、これまた素晴らしい出来栄えだった。
手書きではないので、文字の特徴や雰囲気は醸し出せないが、内容はかなり良かった。
結構、真摯に相手に謝っていた。
(その相手とは今もお付き合いはしている。
クリスマスLINEをもらったばかり)
わたしの未熟な行いを許してくれたのだろう。
書いたことはすっかり忘れているものの、わたしは手紙が上手だと自分で感心した。
美辞麗句を並べたてるのではなく、拙い文章ながら真面目に、ちゃんと相手に向かっている。
これなら、初恋の人にフラれさえしなければ、紫式部か清少納言のように、情熱的な恋文が書けたかも知れないのに、、、残念生腎石。
(自画自賛とはこのこと)
年末年始に子供たち一家が来て泊まるため、今日は布団を用意した。
ごそごそ。
ちなみに、次女一家は、お婿さんの実家に帰省している。
飛行機でしか行けないぐらい遠い地。
わたしは今まで一度も訪れたことがない地である。
それはそれとして。
長女一家と息子、我々夫婦、合計9人分の布団。
冬用羽根布団をわざわざ四角い羽布団ケースに収納してあるため、引っ張り出すのが面倒だ。
1枚は、合物羽布団で引っ張り出したが、もう1枚はケースの中、そのまま。
しかたないから、6人家族の長女一家には、そこらへんのありったけの布団を手当たり次第、総動員した。
薄い皮を幾重にも重ねたミルフィーユのような、パイ生地のような、モザイク模様のような、パッチワークのような、何枚も何枚も薄い布団を重ね合わせた。
最後に、大きなキングサイズのラム毛布があったので、それを横向けに掛けた日本簽證。
息子用には、張り切って、なんと敷布団を2枚重ねにし、冬用羽布団と毛布。
薄い、硬い、痛い、と思われないように、見栄を張った。
(母親はこんなところで息子に見栄を張る)
そして、わたしの布団は、あれこれ試行錯誤。
ああでもない、こうでもない、と、合物羽布団と、電気毛布敷布。
わたしは電気毛布敷布さえあれば、ご機嫌だ。ぬくぬく。
しかしながら、2階や別棟から布団や毛布を運び込むのは、結構大変だ。
特に2階からは、大きな布団を抱えて足元もよく見えず、階段を踏み外しそうで怖い。
10年後はきっとふらついて出来ないだろう。
で。
布団を用意していたら、姑の寝室の布団が入っている押し入れの毛布の下から、あるモノを発見した。
いかにも大事なモノが入っている風の和紙で作られた、味のある紙袋。
いったい、何が入っている?
宝石?
現金?
預金通帳?
小ぶりながら、ずしっとした貴重品の重み、手触り。
そっと中を開けると厚めの封筒がごろごろ。
遺言書か?
大事な言い伝え?申し送り?
封筒の表はまあ、さらっと見たが、肝心なのは裏。
見たことがある住所、名前、、、。
何通もある。
これ、わたしやん。
わたしが姑や舅に出した手紙の束だった。
まあ美しい丁寧な文字。
当時、ペン習字を練習していたこともあり、気合いが入っていた。
(今と大違い)
内容がまたキラキラした、健気で泣ける、素晴らしいこころを表したもの。
どこの誰が、書いた?と思えるぐらい、別人だった。
新婚当時の日常や感謝を伝えるもの。
第一子を妊娠、出産したばかり。
人間は、こうも変わるものか。
はあぁ〜。ため息。
決して嘘八百を並べたてているのではない。
こころから思ったことを文字にしている、、、のではあるが、美しすぎる、、、。
ごろっと変わったからといって、極悪人や犯罪者になるわけではない香港移民加拿大。
環境や年齢によって、人はこんなに変わるものかと驚いた。
それと、わたし、、、自分で言うのもなんなんだが、手紙がうますぎる。
もしあれがラブレターなら、相手はイチコロである。
残念ながら、ラブレターは中学1年の初恋の相手に書いて、こっぴどくフラれて以来、1通も書いていない。
苦い思い出と共に封印された。
それはある意味、良かったのかも知れない。
それはそうと、先日、事務所で廃品処理をしていて、出てきた手紙があった。
20年前の、パソコンで打った手紙のコピー。
わたしが迷惑をかけた人に詫びる内容なのだが、これまた素晴らしい出来栄えだった。
手書きではないので、文字の特徴や雰囲気は醸し出せないが、内容はかなり良かった。
結構、真摯に相手に謝っていた。
(その相手とは今もお付き合いはしている。
クリスマスLINEをもらったばかり)
わたしの未熟な行いを許してくれたのだろう。
書いたことはすっかり忘れているものの、わたしは手紙が上手だと自分で感心した。
美辞麗句を並べたてるのではなく、拙い文章ながら真面目に、ちゃんと相手に向かっている。
これなら、初恋の人にフラれさえしなければ、紫式部か清少納言のように、情熱的な恋文が書けたかも知れないのに、、、残念生腎石。
(自画自賛とはこのこと)
Posted by mofjurd at
17:45
│Comments(0)